オートポイエシスを説明するときに引用される非常に有名な絵がある。オランダの画家、M. C. Escher が1948年に描いた、Drawing Hands である。
(註)又、この絵は楽天市場で購入することも出来る。
この絵は、左手が右手を描き、右手が左手を描いている。自分が自分を生み出すという自己産出(オートポイエシス)を描いていると同時に、二次元の絵であるが”補完的情報の創造的交換(オートポイエシス)”により、三次元を浮かび上がらせているというものである。
Autopoiesis(オートポイエシス)については、当サイト、5月28日の「ドロップシッピングの更なる発達概念、アマゾンドットコムを越える、「オートポイエシス マーケットシステム」について。」で、説明している。簡単ではあるが、概念はつかめると思う。
上記の絵によって、更に何か感じるものが有れば、それをイメージしていただきたい。
次にオートポイエシス・システムを分かりやすく解説しているので次の文章を引用しておく(山下和也著「オートポイエーシスの世界―新しい世界の見方」より)。
たとえば、ラジオ体操を思い浮かべてください。ラジオ体操では同じ動作を二回ずつ繰り返してから、次の動作へ移行して再び二回繰り返します。また、動作の終了した点が次の動作の起点になっています。それぞれの動作は反復することでひとつの動作のとしてのまとまりをもちながら、次の動作へと移行します。終点と起点で重なりながら、繰り返される動作の反復、これがまさにオートポイエシス・システムのあり方です。
一例として、「ネットワーク社会における企業経営とオートポイエーシス論-I」という論文が見られる。
このようにオートポイエシスは経営の社会に取り入れられている新しい考え方だが、我々にとって関心があるのは、ドロップシッピングがこの新しいシステム論で説明がつき、且つ、革新的な発展の論拠の糸口となるかである。
これから先に進むに当たり、オートポイエシス論の社会への適用に始めて成功したニクラス・ルーマンの論拠を説明しておきたい。彼は、社会をオートポイエシス・システムと考えるとき、その構成要素を人間以外のものとすることでそれまでさまざまのネックとなっていた障害を取り除いた。
それは、社会システムの構成要素を「コミュニケーション」と規定したのである。社会システムはコミュニケーションを産出しているオートポイエシス・システムと定義したのである。つまり具体的に現れている社会は人間からではなく、コミュニケーションからなっているとしたのである。
しかも複数の送り手と受け手が可能なことを考えれば、コミュニケーションはネットワーク状に連鎖を形成する。人間の集団ではなく、その中で行われるコミュニケーションのネットワーク連鎖そのものが社会。
あまり、理屈をこねたくないので、次の例を挙げて、この文章を終わることにする。
「・・都会のスクランブル交差点にあるような人間集団。これを社会的な人間集団と呼べるだろうか。人間の単なる物理的な集団は、社会集団とは言えないのではないか。逆に相互にコミュニケーションがあれば、どんなに互いの距離が離れていても、社会集団と見ることが出来る。例えば、インターネットを使ったオンラインゲームのプレイヤー仲間などを考えて見てください・・」
話は、オートポイエシスとドロップシッピングに近づいて行きますので、もう少し、我慢して、話をお聞き下さい。
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