暮れから正月にかけて、思いがけない感動を味わい、心を揺さぶられた。
乙川優三郎氏の「脊梁山脈」である。2013年度の大仏次郎賞受賞作品である。時代小説作家として知られている乙川氏の最初の現代小説である。
寡作なため、あまり多くの作品を発表していないが、下記のように、主な文学賞は総なめと言うありさまである。時代小説にあまり興味のない私にとって、少し、遠い存在だったが、「脊梁山脈」を読んで、胸をうたれ、その考えが一変した。早速、彼の時代小説にも手を伸ばし、期待通りの感動を味わった。
1996年 『藪燕』で第76回オール讀物新人賞
1997年 『霧の橋』で第7回時代小説大賞
2001年 『五年の梅』で第14回山本周五郎賞
2002年 『生きる』で第127回直木賞
2004年 『武家用心集』で第10回中山義秀文学賞
2013年 『脊梁山脈』で第40回大佛次郎賞
「脊梁山脈」は、木地師の話を軸にしながら、敗戦直後の日本社会に活きる男女の恋愛小説であり、昭和の一時期を描く歴史小説でもある。木地師とは、ろくろを回して、木で椀(わん)や盆、こけしなどを作る古代からの職人達をいう。こけし職人と言ってしまうと、一般の人たちにも親近感がわくと思う。彼らにとって、森の木々は生活の糧であり、生きるために優れた原木を求める漂泊の民でもあった。この小説の主人公は戦争の生き残りの若い男で、戦地からの帰還途中の列車で知り合ったやはり一兵卒だった元木地師の行方を捜すのだが結局は木地師そのものの源流を求めて信州から東北の山間を旅することになる、旅の物語でもある。
しかし、この小説の優れたところは、恋愛や、木地師という一職種の源流を求めて旅をすることだけに終わらず、日本国成り立ちの古代史にまで筆が進む。
主人公は調査の過程で木地師の成り立ちに朝鮮半島から渡来した秦氏が関わっていたことを確信するのだが、さらにその秦氏と日本の古代王朝との深い繋(つな)がりから、話は古代史最大の事件ともいわれる「大化の改新」の秘密に突き進む。天皇家の政治的基盤が確立したあのクーデターには大いなる歴史の欺瞞(ぎまん)が隠されていたというのである。
このあたりから、読者はこれまで抱いていた国とか民族に対する理解が揺さぶられることに気づき始める。木地師が暮らした山の文化と天皇家に象徴される歴史により、日本人の精神性は育まれてきた。それなのにその双方に半島からの渡来系の血が濃く関わっていたとしたら、我々日本人とは一体何なのか、よく分からなくなってくるのである。
ちなみに、大化の改新の折に出された詔(みことのり)は、天皇家を正当化するために、日本書紀において書き換えられたことが、歴史上明白になっている (ウイキペディアの「大化の改新」参照)。
この物語の終章近くに、主人公が山中で発見した昔の木地師の多くの墓石に菊の紋章が彫られているのを発見する。 これは明治以降禁じられるのだが、木地師と天皇家のルーツを示す事柄として象徴的である。
また、主人公の知人の女性が、「わたし、半分朝鮮人なんです」というのに対して、主人公は、「血の濃淡はあるでしょうが、日本人と朝鮮の人とは千年前から同胞ですよ」という。半島は日本人にとって半祖国であって、海を隔てたために異なる民族のようになっているが、「根っこは、日本人も朝鮮人も同じ」と主人公は言う。
作者、乙川優三郎は、この小説を書くにあたり、古代史の資料集めと勉強に一年かけ、執筆の時間よりも考察と考証に時間を取られたと言っている。そして、なによりも、この小説の素晴らしいところは、その文章である。この小説に多くの評者が絶賛を贈っているが、その中でも幾人かの評者が、作者の文章は静謐だといっている。
確かに、文章、内容ともに奥深く、静謐であり、繰り返し読みたくなる小説に久しぶりで出会った。
このエントリーのトラックバックURL
http://www.affiliateportal.net/mt/mt-tb.cgi/1057