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「福島原発被害からよみがえった手持ちマッサージ器の半世紀」 その3:人の器(うつわ)について No.2

投稿者 石川洋一 2014年09月02日 18:45

私たちの小学生時代は戦争の時代でした。
小学校に入学したのが、昭和13年だったと思います。当時はシナ事変と呼ばれていましたがまさに戦争の真っ最中、この年の⒓月は当時の敵側の首都南京を占領し、日本では勝った、勝ったの大騒ぎで、東京では提灯行列が行われました。提灯行列といえば、昭和15年、紀元二千六百年を記念して提灯行列が行われました。

そしてこの翌年、昭和16年12月8日にアメリカ、イギリスなど連合国に宣戦布告し、まさに、戦略なき大戦争に突入したのです。

先日、8月15日を迎え、また、今日9月2日を迎えて、戦争の記憶が否応なしに思い出される昨今です。戦前の記憶を持つ者にとっては、最近のこの国のありさまは、まさに、あの時代を彷彿させます。丁度同じような時代の波を感じさせます。

堀内惇(あつし)君は病院のベッドで何を思っているのかと考えてみます。
堀内惇(あつし)君、この記事の主人公です。マッサージ器を開発し、多くの人たちから大人(たいじん)として慕われた人です。友人として君づけで呼ばさせてもらいますが、早く退院して、ジョッキでも傾けながら、「おい、おまえ」で、昔のことを語りたい。
我々は戦時中の何もない時代に生き、更に戦後の何もない時代を生き抜いた世代ですが、不思議なことに、まだ元気な者が身の回りに多くおります。彼も元気に退院し、約束通り、少なくとも90歳までは大人ぶりを発揮してもらいたいものです。

まだ小学校時代の同窓生がかなりいるはずですので、堀内君が元気になったらもう一度同窓会でも出来ないだろうかと考えています。80歳過ぎての同窓会などそうはないと思います。

早く、彼の話を聞いて、福島原発を生き抜いたマッサージ器の話を完結させたいとの思いでいっぱいです。
原発の再稼働の話も世論を熱くしています。奇しくも私の妹も福島で原発事故にあい、多くの人々に助けて頂きました。堀内君も苦労した三年間、いろいろな思いを持っていると思います。その思いを大いに語ってもらえる日の早からんことを祈ります。

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